子曰く、君子は器ならず。
老先生の教え。
教養人は一技・一芸の人ではない。
大局を見ることのできる者である。
物事には全体の成り行きをみることが必ず必要である。
子曰く、君子は器ならず。
老先生の教え。
教養人は一技・一芸の人ではない。
大局を見ることのできる者である。
物事には全体の成り行きをみることが必ず必要である。
仏教でいう如意
小欲知足であり、これこそ幸福に至る妙薬といえましょう。
欲が少なく足ることを知る者は、こだわりがありませから、心に余裕が出て自ずと思いのままになれるというものです。
お坊さんの扱う法具に「如意」というものがありますが、これは人の心に如意を与えること、幸福を与えるための法具とも解釈できます。
毎日の生活が心に不満もなくとらわれないでありたいです。
質の高い仕事をするコツとは
遊とは仕事に夢中になることであり、
学とは勉強し自己の価値を向上させることであり、
働とは真剣に働いて企業や社会の利益に貢献することであります。
このバランスが大切なのです。
彼岸は、春分の日の前後7日間。「彼岸」は仏語で、目指すべき理想の境地を「あちら側の岸」に例えました。
対して、迷いと苦しみの世界である現世は、こちら側の意で
「此岸(しがん)」といいます。彼岸には、ぼたもちが作られ、春の彼岸は「牡丹餅」、春の彼岸は「御萩」と呼びます。
春、秋の彼岸には先祖のお墓前りに多くの方が見えられます。
「一華五葉を開く」
達磨大師が弟子の慧可に与えた言葉、
一つの花は五弁の花びらを開き、やがて果実となる。
花とは人間の心である。心の眼が開ければ、自然と悟りの境地に
導かれるという意味です。
「五葉」とは、五つの花びらのこと。悟りの階段を、一つ一つの花弁が開いていく順序にたとえて説明していることばであります。
(悪事は一時的に儲かることがあっても、やがてだめになる。)
運よく、時流に乗り、一時代の繁栄を謳歌しても、長い歴史の目から見れば、瞬時に散る徒花のように空しい限りである。
「君子は財を愛す。これを取るに道あり」とあります。つまり、立派な人物は財を尊重し、手に入れるにも道にそって行う、という禅の教えがあります。
企業は利益の追求に恥じることはないが、手段が人の道に反しないことが大事であります。
これば経営に基本である。
曹洞宗開祖道元の「弁道とは」人にとって文字、言葉はなくてはならぬものであり人間存在の原点であります。
しかしそれだけでは仏の真実は見えてきません。文字に執着すると知識ばかり追い求め、文字で培われた知識だけですべてを解決しようとします。仏道は、「徧界かつて蔵さず」明々として生活の中に、隠れずそのすがたをあらわしているので、それをはっきりと見極めることが大切なのです。一つのことを行うときは、自分の全責任をもってそのことに没頭することです。
そこに仏道における弁道の真実に気づかされるのです。
「自灯明、法灯明」といわれるお釈迦様の言葉です。
自らを光とし
自らをよりどころとせよ
法を光とし
法をよりどころとせよ
本来人間は心のうちに光を持っています。自分を信じ、自分のこころのなかにある情熱を完全燃焼させること。
それが、 「自らを光とし、自らをよりどころとする」生き方につながります。
「気は長く、心は丸く、は腹は立てず、人は大きく、己は小さく」
「気」の字を縦に長く書き、「心」は円のように、「腹」は立てずに横に寝かせて書きます。
「人」は大きく、「己」は小さくというのは、人を尊敬するというのは、人を立て、
自分自身は謙虚に小さくすることに他ならないことです。
「今日一日に全力を尽くそう」
今日という日は再び来ない。
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