「柔軟心」
坐禅は私たちの心の目を開かせるもの。 先入観を捨てて、澄みきった気持ちで世界を見渡せば、 冬の中にも春の息吹を、夏の日差しに秋の落葉を見出すことが 出来るでしょう。こうした見た目にとらわれない自由自在な 心を禅語で「柔軟心」といいます。
「発心―名刀も磨かなければ純刀に」
お正月を無事に迎えることは、誠にありがたいものです。 風雪に耐えながら先がけてほころぶ梅花のように、私たちも、 希望という一輪の花を咲かせて一年を彩りたいですね。
「いま」に満足する
小欲とは、まだ来ない将来のことについて、欲望を持つことである。 いつまでも元気でいたい、せめて九十歳までは生きたい・・・と
知足とは、いままで得たことに、満足して、心やすからに生きることである。 文句もいわず、ああよかった、満足して生きる。これを知足の生活という。 人生の悩みを消すのは、将来に欲を張らず、いままでの人生の何か一つにでも満足 して感謝すれば、心はすぐ安らかになる。
仏道の身心は、風雨水火なり
現代の生活の変化は、めまぐるしい。 その変化についていけなくて自信を失い、自分というものがわからなくなってしまいますが、 「生きていけない」と悩んでいるのは、人間だけだ。
頭の中で、「あれだ」「これだ」と理屈をこね回している自分だけが、本当の自分であると勘違いしては、困る。 わたくしたちの身は、「風雨水火なり」なのだ。人間の体は、大自然なのだ。この事実をはっきり把握して生きれば、 生きる喜びが、こんこんとわいてくる。
「やさしいことは つよいこと」
だれかのこころの声をきく やさしさ だれかの かんしみを しっかりと うけとめる つよさ だれかに あたたかなことばを かける やさしさ どんなに つらいときでも だれか 笑顔をむける つよさ やさしさは やさしいだけで できていない やさしいことは つよいこと
しんにやさしいひとは つよいひとでもある。
「触処清涼」(そうしょせいりょう) 至るところ清風尽きず、といった心境のことです。 「ばたばた」と日常生活を過ごすのではなくて、一歩とどめ、 一息ついて、広い天地のなかの自分を見つめ直すことが大事である。
「事実が仏法」 今の呼吸も足の裏からの刺激もいのちの事実です。 そして「時」そのものです。それを道元禅師は「有は時なり」と言うのです。 存在はそのまま時間だと言う。
「円相」(えんそう)
悟りや空を表現しているいわれる。欠けるところのない丸、 円相はまさに究極の形である。丸を維持するために弛まない精進が必要になる。
「今、生きている事実」
階段を上がる時に自分のこの脚の筋肉に感じるものがあるでしょう。 この筋肉の刺激がお釈迦様なのです。今、生きている事実なのです。 人の呼吸も、足からの刺激もいのちの事実です。今の呼吸、息づかい 足の裏の実感、これがいのちそのものであり「時」そのものです。 開祖道元禅師様は「有は時なり」と言うのです。存在はそのまま時間だと 言うのです。時はいうものはもう事実なのだであり、事実以外にはものはない、 それが仏である。
「永遠に学ぎ続けるべき」
勉強をするのには遅すぎることはないのです。 必要な時に学んでいけば、きわめて大きな効果を生むことができる。 人生というものは「これでお仕舞い」ということはない。 いつも永遠に続いていく。 だから人間は「これでいい」っていうことはないんです。