「浮き世の波を乗り越えて清をめぐみにゆく法の船に掉さすものはみな南無帰依法ととなえよ。」
私たちの生きるこの世のなかは 無常であり、 いろいろな苦しみや悲しみがありますが、 仏の教えに従って 心高く真如のすがたで、 感謝の毎日を過ごせるようになりたいものです。
お鈴の打ち方、線香の数について
ご家庭で鈴を打つ場合、一回だけだと不安な感じがしますので、二回・三回鳴らしてから手を合わせほうが落ち着きます。
お寺での鳴らし物は、僧侶しきたりのやり方がありますが、あまり気にしなくて結構です。 なお、鈴の縁は、上からではなく、横からたたいて、なるべく良い音が出るように工夫して、鈴の澄んだ音色は、乱れがちな心を 統一してくれます。
線香の数もご家庭では関係ありません。一本でも十分です。横に寝かしてもかまいません。「香り」をお供えすることが目的です。 身と心を清めてくれるような香りのよい線香を使うことを心掛けるとよいです。
塔婆について
塔婆は釈尊の滅後に、聖なる人の仏徳を永遠に仰ぎ尊び、追慕と記念するための
構築物(仏塔)でした。そこに仏の遺骨(仏舎利)、所持品、遺髪などを収蔵したのです。
一般に塔婆といっているのは、仏塔をもよおした模したもので、「霊妙にして聖なる徳」がこめられています。仏心そのものです。 ですから塔婆は、先祖・先亡の供養に資するものですが、まず、仏に帰依し、その功徳を亡き人に回らす(回向)ものなのです。 功徳そのものです。
ご本尊様の参拝作法、合掌・礼拝について 堂内に入ればまず合掌・礼拝します。 「右ほとけ 左衆生と合わす手の 内ぞゆかしき 南無の一声」 という古歌に書いてありますが、合掌は、右手は仏の象徴、左手は私たち衆生で、両者が一体になる形です。
両手を合わせることは、相手への敬意をあらわすだけでなく、自分の心の全てをさらけ出し、人や仏様に向き合うということにつながるわけです。
ご本尊様前に立ち、合掌、礼拝をして感謝、慈悲、知恵の眼差しをしっかりと受けとめることが大切です。
弁道とは、悟りにいたる道筋、修行。
一つのことを行うときは、 自分の全責任をもってそのことに没頭することです。
そこに弁道の真実がある。
集中してやることは大切であります。
自分の経験を大切に生きる。
「他は是れ、吾れにあらず」
人はつい他人にしてもらって満足してしまう。 他人は私ではない。 他人のすることは自分のものにはならないということである。 どんなにちいさなことでも人任せにすることでなく、 自分が行ってこそ自分が活かせる。
そこにじぶんの生命の発見があり、生きることへの充実がある。
道元禅師「典座教訓」
愛の言葉は、愛をはぐくみ合うものであります。
「愛護というのは、衆生をみるに、まず慈愛の心を起こし、顧愛の言葉を施すなり。」
愛の言葉というものは、 人間を初め、 生きとし生けるものをみて、 愛する心を起こし、 真心をこめた言葉をかけることであります。
それが自分はもちろん、他人の心を楽しく豊かにしてくれることであります。