新年あけましておめでとうございます。
2013年は大変お世話になり、誠にありがとうございました。 賜りましたご支援に対し厚くお礼申し上げます。
本年も引き続き、ご指導・ご鞭撻を頂戴できれば幸いです。よろしくお願い申し上げます。
一つをじっくり
「今年はこれと、あれに挑戦したい」。 いろいろな抱負がふつふつと心に浮かんできます。
しかし一のことができないで、他のことがきますでしょうか。
そんな時に、思う言葉「一行三昧」です。
一つのことにただ邁進する。全身全霊をあげて打ち込み、自分を見失わないよう持続させていくことです。
やりたいことはたくさんあるけれど、今年はじっくり
丁寧に行っていきたいものです。
「立ち止まる練習」
師走。慌しい日々の生活を送っている方も多いことでしょう。
パソコンや携帯電話のなど、便利なものが増える一方で、それによりさらに忙しさが増すと感じることがあります。
技術の進歩は必ずしもゆとりを与えてくれるものではないようです。
立ち止まり静かに姿勢を調え、息を調えて坐禅をする。
「こころの深呼吸」する時間があれば、また世界が変わって見えるかもしれません。
忙しいからこそ、立ち止まる。
自分と向き合い、自分を感じる大切な時間を、是非味わってみてください。
「心のキャッチボール」
人にとって大切で、必要なものは心のキャッチボールだ。 心が動けば、足(身体)が動き、フットワークが生まれる。 具体的に行動することで、心の守備範囲が広がっていき、どんどん人との付き合いも高まる。 出会いから様々な気づきや発見が生まれ、その結果、自分自身を成長させ、高めてくれる。
「姿即心」すがた すなわち こころ
その人の姿はその人の心の中を現している。 心と神経や肉体はすべて相関関係にあり、自分の心の状態はすべて自分の姿となり現れる。 よって何事も心を律し、心の意識を高めなければその姿はおのずとだらしのないものになる。 常に人のスタートは「こころ」にある。 人は心の態度、心の意識を高めなくてはいけない。 意識を繰り返し積み重ねることで、無意識のレベルに心は高められていく。 心(意識)がしっかりしている人は、自然とその人の姿もしっかりしているものである。
人の心、元より善悪なし、善悪縁に随ておこる。
間違いなくこのことは自分のためになると思っていても、人の言葉に動かされることがある。
善き指導者にしたがい、立派な人が長い間話していることを聞いているうちに、自然に心はよくなるのであります。 同心を一度、起こした人でも、同じことでも聞くたびみがきがかかり、ますます理解は深まります。
無論、同心がない人でも、一、二度聞いただけでは関心がわからなくても、何度も重ねると、霧の中を歩く人がいつぬれたのか気づかないうちに自然に衣服がしめるように、立派な人のことばを何回も聞いているうちに、自然と自分を恥ずかしく思う心も起こり、ほんとうの同心も起こるのである。
人と共に養う
8月はお盆の月。多くの方が故郷に帰省し、ご先祖様のお墓にお参りをされます。 久しぶりに家族や親戚が集まり、近況などを語り合うひとときの場でもあります。 いつまでの残したい、日本の風景です。 お盆の風景の中心にあるのが、「供養」。「供養」と聞くと、亡き人に対して、 一方的に、水やお花、お供え物をお供えし、手を合わせることをイメージします。 でも、振り返ってみてください。手を合わせていると亡き方があなたにしてくれた ことが思い出されませんか? また、あなたの今の生き方を見直す機会になっていませんか?
「仏道は人のためではなく、我が身のためなのだ」
ただ身心を仏法の中になげすてて、その上に、道を悟り法を得ることさえ望むことなく修行していくことが、よごれていない修行者というのである。 「仏のいるところにもとどまらない、仏のいないところもさっさと走りさる」ということが真の仏道である。
人を尊敬するこころは人生の宝です
「志」とは、「こころに突き刺さる」という意味。
お金をいただくためとか、給料をいただくために、しかたなくやっているというのでは、人のこころを動かせません。 こころから人を尊敬すること、そこからしか人のこころは動きません。志とは、相手のこころに向かって、自分を一歩一歩進めていくことでもあります。
人を尊敬する、それは生きていくうえで、その人の「宝」となるものです。
木蓮(もくれん)
三月下旬~四月にかけて、木蓮の咲く時期が訪れます。
空に向けて、てのひらを広げるように咲くさまが美しい花。
白い花を咲かせる白木蓮や、紫の花をつける紫木蓮があります。