「事実が仏法」
今の呼吸も足の裏からの刺激もいのちの事実です。 そして「時」そのものです。それを道元禅師は「有は時なり」と言うのです。 存在はそのまま時間だと言う。
禅語「吾道一以貫之」(わがみちは いちをもってこれをつらぬく) 自分の道は、つねに一貫しているにがいい。 何があろうとも心はぶれず一貫して行えばいい。
「光明というは人々なり」
相手のつらさに共感する 光明というは人々なり、万法の生命は人間みんなの中に存在している。 みんなで仏の生命を輝かせているのであり、一人一人が仏様の光明なのだ。 縁のあった人が苦しんでいたら、飛んでいって、苦しみから解放するように 尽くす。彼の生命と自分の生命は一心同体である。友が悩み苦しんで、友の 仏の光が消えかかってしまうと、自分も暗くなる。
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