「逢うは別れの始めです」
桜の花に包まれて、それぞれの新年度が始まります。そこにはどんな先生や先輩、仲間たちとの 出会いがあるのでしょうか。さて、植物が一斉に芽吹く春は、誕生の季節です。 4月8日の花まつり。お釈迦様の誕生の日です。降誕会、仏生会、灌仏会とも呼ばれ、各寺でお祝いの 法要が営われます。 「逢うは別れの始め」という理を胸に刻んで、今日の出逢いの一瞬一瞬を大切にしたいものです。
「自未得度先度他(じみとくどせんどた)の心」
自分がまだ渡らない前に、他人を渡してあげる心、「どうぞ、お先に」 という心を起こしなさいということだ。 「お先どうぞ」「人のために」と一歩譲る心を持つことを大切に生活していくべきである。
「大恩を報謝せん」
「生きる」と「よく生きる」とは違う。「生きる」とは、食べる金のことを考えていればよい。 「よく生きる」とは、二度とない自分の人生を生み育てている宇宙の生命を、自分の胎内直視し、 深く感謝を捧げて生きることなのである。 「生きる」と「よく生きる」の二つがよく調和されてこそ、幸福な人生を送れることである。
「光明というは人々なり」
相手のつらさに共感する 光明というは人々なり、万法の生命は人間みんなの中に存在している。 みんなで仏の生命を輝かせているのであり、一人一人が仏様の光明なのだ。 縁のあった人が苦しんでいたら、飛んでいって、苦しみから解放するように 尽くす。彼の生命と自分の生命は一心同体である。友が悩み苦しんで、友の 仏の光が消えかかってしまうと、自分も暗くなる。
人生で一番大切なのはその一瞬、一瞬だけなのです。
永遠に別れていても、一瞬も離れていない。 終日面と向かい合っていても、少しの間も相対していない。 このことわりは各自の人に備わっている。
人を尊敬するこころは人生の宝です。
お金をいただくためとか、給料をいただくために、しかたなくやっているというの では、人の心は動きません。
心から人を尊敬すること、そこからしか人の心は動きません。 人を尊敬する、それは生きていくうえで、その人の「宝」となるものです。 そして、「これは宝だ」と思ったら、その言葉を覚えておくだけでなくて、まるごと 体に覚えさせる。体にしみ込ませるように、身につけておいてこそ、いざというときに使える のです。 いつでも自然に出てくるくらい体験を積み重ねておくことです。
「先祖に感謝し、子孫のためにがんばる」
先祖の残してくれたものは、今、自分が享受しているところのものである。 それを残してくれた先祖のありがたみに感謝しなければならない。 子孫の幸福とは何か。 それは、今、私たちが頑張って残していくものによる。
「人のためにつくすのをためらうな」
人のためにつくそうとしたら、ためらいを捨てるべきだ。 もし、ためらっていたら、せっかくの志がもったいないことになる。 また、人の恩を施したなら、見返りを求めてはならない。 見返りを求めたらせっかくのいい心に傷がついてしまうことになる。
「人のいうことよりも自分の心を重んじる」
世間というものがわかってくると、人の心が天気のように 変わろうと気にはならなくなる。 人が何を言ってもはいそうですかとうなづくばかでよい。 自分の心を常に明朗であれ。
過ぎてしまったことはくよくよしない。先のことは思い悩まない。 無心の境地というものを求めてもなかなか難しい。ただ過ぎてしまったことに くよくよしない。先のことは思い悩まない。ただ、今出てき問題を丁寧に、 淡々とすましていけば、自然に無の境地に近づいていくのではないだろうか。